なんて言ったらきっと私は数少ない友人と知り合いを含む全人類から軽蔑され
そして村八分の如く仲間はずれにされた挙句過去の存在として学校の机に花瓶を飾られるのでしょうね

ある友人が憎くて憎くて仕方が無いです
もといそれは羨望、憧れ、彼女を羨ましいと思う自分自身の救いようの無い感情であり
それ故に彼女を「憎い」と感じてしまうのは全て自己責任なのです。彼女に罪は無い。

家庭環境が多少普通よりも捻くれた環境に育っただけで
ここまで私のような僻みっぽい人間ができるフシギ。
すぐに人のものが欲しくなっちゃうの。
手に入らないからニクラシイノ。

そして彼女の「弱さ」に対して過剰反応を示すヨウ素液並みの自分の神経に苛立ちを覚える。

そうねそうねだって「つらい」の基準は人それぞれだから
それに対して私がうだうだ文句言っちゃあ駄目よね。
なんて理屈を租借してぐじゃぐじゃにして飲み込んでプーできるほど私はできた人間じゃない。

ファック民主主義。

どうせ私なんか荒みまくった資本主義の申し子ですよ。
43.5kg

もう、おしまいだ・・・
今日は吐くのさんざん邪魔された。
殺してやろうかと思った。

ダレの為に私3kg以上の買い物してきてると思ってんの?
毎日毎日スーパーの袋提げて帰って。
しかも学生服でさぁ。
おばさんにも笑いながら「偉いわねぇ〜」とか言われて、
どんだけ恥ずかしい思いしてるか分かってんの?
なんで外にも出ないの!!!!!
なんでわたしにばっか全部しわ寄せが来るの!?

私だって他の子kみたいに暮らしたいよ・。
もう、いい子でいるのは疲れたよ。

痩せたい痩せたい痩せたい
このままあいつみたいにデブになるのだけはゴメンだ。
負け組なんかなりたくない。
もうこれ以上、見下されるのはいやだ。

普通になりたい。人並みがいい。
お下品な内容なので、秘密。
摂食障害になって拒食だけで終わる人と、
そこから過食になる人の違いって何なんだろうかって考えてみた。

私の友達にも過去に拒食になった子が2人居て、
1人は最高で32kgくらいまで落ちてガリガリになったらしい。
でも、今はもう治って元の体重に戻り普通に食事してる。
もう1人もそう。

※ここから先はもしかしたら違う人も居るかもしれないし
もしかしたら読んで不快な思いをする人も居るかもしれないので、
読みたい方だけ読んでください。




私的な見解なんだけど、やっぱり過食になる人とならない人の違いって
家庭環境(特に母親との関係)にあるんじゃないかと思う。
色んな摂食障害の人のブログとか見てると
拒食の終わる時期(つまり過食期との境目)にちゃんと
母親の応援があって食べられるようになった人は過食にならずに終わってるけれど、
家庭内に色々訳アリだったりする人は過食になってることが多い気がする。

そういうのって、なんか不公平だと思う。
まぁ要するにはっきり言ってしまうと私は拒食で終われた人が羨ましくて仕方が無い。


私だって、一緒に食事がして欲しかった。

「よく食べれたね、偉いね」って言ってほしかった。

ねぇ、お母さん。

私が欲しかったのはそんな蔑むような言葉と目じゃなかったよ。

私を殴るその手がいつか、抱きしめてくれることを渇望してた。

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